八丈島に行きたい!島の歴史と飛行機・フェリーでの行き方

「島」への関心が、最近筆者の中で個人的にむくむくと膨れ上がっている。特に東京のはるか南に位置する、伊豆諸島。それから小笠原諸島。島ならではの文化、風習、そして空気感。惹かれる!そして美しい自然。

今回は事始めとして伊豆諸島の中でもポピュラーな「八丈島」を取り上げ、島のあらましと歴史をご紹介の上、アクセス方法を記そうと思う。

※トップ画像引用:八丈島観光協会HP 

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「常春の島」八丈島

photo by Jun Kaneko

年間平均気温は17.8度

年間を通じて温暖な気候が続くことから、八丈島は「常春の島」とも呼ばれる。海洋性気候に属する八丈島のそばには暖流である黒潮が流れている。南方から送られた暖かい海水は、八丈島の空気を温め、雨を降らせる。そのため高温多湿にして、雨風強し。八丈島は、そんな南の島である。

2つの火山がくっついた島

火山島である八丈島は北西から南東にかけてのびるひょうたん型で、島の西と東にひとつずつ火山が鎮座している。東の「三原山」の噴火は有史以来いまだ記録されていないが、西の「八丈富士」については火山としての歴史が比較的新しく、15世紀から17世紀にかけて数回噴火したとの記録がある。そして東西の火山の間に広がる低地にも側火山が点在する。

八丈島の歴史

ここのところ筆者の中でもっぱら島の歴史・風土について関心が高まっていることは先に述べた。というわけで八丈島の歴史についてもおおまかにご紹介しよう。

アクセス方法を真っ先に知りたいという場合は、本項を読み飛ばしていただき、ページの下部までスクロールしていただければと思う。

縄文時代

縄文時代に八丈島で人間が暮らしていたことが判明したのは、比較的最近の出来事である。古代においては無人島であったと長らく考えられていたが、昭和37年、石器の発見を契機に遺跡調査が開始され、昭和52年に行われたさらなる発掘調査で人骨や装飾品が出土した。

それによりおよそ6500年前、八丈島には住民がいたらしいことが考古学的に明らかになった。しかし他の島、あるいは本土から八丈島にやって来た当時の人々は、やがてこの島からいなくなった。死に絶えてしまったか、他の土地へ移住したのだと考えられる。

鎌倉時代~明治時代

八丈島が本土の支配下におかれたのは鎌倉時代、1186年のこと。以来、数々の権力者たちがかわるがわる島を支配することになる。室町時代には足利氏の指示のもと代官が島に派遣された。いわゆる駐在さんである。

室町時代の1440年には神奈川の領主、奥山氏が支配したが、その世紀の後半には北条氏、三浦氏を加えた三氏の間で八丈島の覇権が争われた。16世紀になり北条氏が勝利し、全島を支配するに至る。

徳川の時代になると八丈島は罪人の流刑地として利用されるようになる。江戸時代に八丈島へ流された罪人の数は、およそ1900人にものぼるという。

やがて明治維新を経て、新政府は明治4年に廃藩置県を断行する。それから7年後の明治11年、八丈島は当時の東京府に所属することになり、19世紀最後の年である明治33年には八丈島庁がおかれた。

太平洋戦争期~戦後以降

太平洋戦争において硫黄島で日米の激戦が繰り広げられたことはよく知られている。南端に硫黄島を有する小笠原諸島の陥落を想定する場合に、次なる日本軍の防衛拠点として目されていたのが八丈島である。

戦時中は陸海軍が配備され、特攻兵器「回天」の基地も設営された。たびたび空襲にさらされたものの、地上戦を経ることなく終戦。

戦後、日本経済が向上を始める頃にはその温暖な気候から、八丈島は現在以上に観光地として人気を博したという。海外旅行の一般化とともに八丈島の来島客数は減少したものの、旅行先としての八丈島人気は現在にいたるまで根強い。

「八丈ブルー」と名高い透明な海

※画像引用:八丈島観光協会HP

八丈島について、すべての観光スポットを紹介するのは今回は割愛することにする。ただ八丈島を語るうえでは、その美しい自然に言及せずにはいられない。

八丈島に来たならば、体験ダイビングでもなんでもいい、一度は海に潜ってみてほしい。その透明度は圧倒的。条件がよければ水深50mまでを見通せるという。黒潮が生み出す紺碧の水の美しさは賞賛をこめて「八丈ブルー」と称され、この地を訪れるダイバーを魅了してやまない。

その豊かな海の生態系もまた、ダイバーを惹きつける八丈の海の特徴である。八丈島周辺はウミガメの遭遇率が高いことで知られ、加えてマンタ等の大型生物にも出会えるチャンスがあるという。どこまでも透明な海の底で、色とりどりの魚達が群れる様は壮観だ。「八丈ブルー」だからこそ生み出される景観といってもいい。

八丈島への行き方

東京より約300km南下したところに位置する八丈島へは、東京経由でアクセスが可能だ。300kmというとえらく遠く離れた場所のように感じるが、非常に簡単に訪れることができる。

①空路 羽田空港から

短時間で八丈島に到達できるという点では最も簡単なアクセス方法。東京の羽田空港から、ANAが定期便を就航している。それも1日3往復飛んでいるというからなかなか頻発である。フライトの所要時間は55分。離陸後、機体が水平方向になったら、おそらく退屈し始める前には八丈島空港に着陸する。ANAの早期予約割引を適用できれば、運賃は往復で2万強といったところだろう。

②海路 竹芝桟橋から

東京都内のフェリーポート、「竹芝桟橋」から八丈島まで、フェリーが1日1往復就航している。航行時間は片道約10時間20分。運航するのは「東海汽船」である。

竹芝桟橋を毎日22:30にフェリーは出発。三宅島、御蔵島を経由し、翌朝8:50には八丈島に到着する。ちなみに八丈島発ののフェリーなら、八丈島を朝の9:40に出発し、東京への到着時刻は20:45。

最もリーズナブルな「2等」運賃の場合、ハイシーズンで片道約1万円。年度、季節、燃油価格により若干の変動がありうる。

つまりお値段だけ見れば、海路と空路とでは非常に大きな差があるわけではないということだ。10時間をかけて船旅を楽しむか?多忙の合間を縫い、一瞬で島まで飛んでしまうか?旅の好みや各自の事情をふまえれば、個人個人で選択がわかれるところだろう。スケジュールが許すのなら、往路はフェリー。旅情を楽しみ、太平洋のど真ん中で日の出を満喫する。旅の疲れが感じられる復路は飛行機にさくっと運んでもらう。タイムスケジュールをふまえれば、これが理想ではないか。

「島」の生み出すエキゾチシズム

本州―島の人々はしばしば「内地」と呼ぶ―にはない魅力が「島」にはある。八丈島の面積は、東京の山手線がぐるりと取り囲む土地の大きさにだいたい相当するという。その小さな土地であるコミュニティが完結し、広大な海によって外界から断絶されているということ。そんな環境下だからこそ、本州とは異なる「空気感」が生み出される。

外界と地理的に断絶された「島」が擁する魅力は、島の外側から人を惹きつけるのに十分すぎるものであろう。「エキゾチシズム」という言葉を使うと、まるで中央集権主義の裏返しのような響きに陥り兼ねないけれども、本州出身の筆者にとっては、「島」はとても遠くて、シンプルに素敵なところ。ただそれだけのことを言いたくて、「エキゾチシズム」という言葉に頼ってみました。

「島旅」を楽しむ場所としては、観光地としての魅力が十二分にそろい、アクセスも容易な八丈島は理想的な旅先だろう。さて、次の週末。ちょっと休みを一日多めに準備して、八丈島まで出かけてみよう。

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