2016年6月12日 成田空港

思い返せば、ばたばたと短時間で旅支度を済ませなければならず、慌ただしく過ごすうちに迎えた出発の日。成田空港から出国します。

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成田空港でチェックイン

その年の六月十二日は日曜日だった。私は成田空港第2ターミナルにいた。

15時40分のフライト搭乗時刻まで時間を持て余していたところに、ちょうどテレビのモニターを眺めながら座っていられるベンチを見つけて、私を見送りに来てくれた親しい友人とアイスクリームをなめていた。友人が買ってくれたものだ。成田空港はとても日本らしい清潔さを保持していた。広々としたロビーの床はぴかぴかに磨かれて、光を反射していっそう白い。

空港へはちょうど昼前に到着した。数日前から東京の知人宅に身を寄せた。友人は東京メトロ東西線の沿線に在住で、千葉方面へ向かう電車を乗り継いで行けば、成田空港までのアクセスは楽なものだった。船橋あたりを過ぎて、空港に近づけば近づくほど風景の中に緑が増えるようになり、乗客のまばらな電車に揺られながら、友人といい景色、蛙が出そう、なんてことを話しながら、ちょうど昼頃には空港に着いたと思う。

空港に到着してすぐに、S7航空のカウンターでチェックインを済ませた。便名はS7 566。新品のミレーのバックパックは、カマキリ色のレインカバーをかぶせられた上、盗難防止のワイヤーでさらにぐるぐる巻きにされて、航空会社のカウンターの奥へと飲み込まれていった。

バックパックを飛行機の「おなか」に預けるのは初めてだった。割れ物や貴重品は入れていないけれど、ハードなスーツケースに比べればなんとなく心もとない。ワイヤーを巻いたのは気休めだった。もし空港職員の中に本気で盗みを働きたい人がいれば、ワイヤーなんてスッパリ切断し、リュックの布地もザクザク切り開いてしまうだろう。

荷物はブルーのショルダーバッグだけになった。私は白のリネンシャツにカーキの半ズボンというボーイスカウトのような出で立ちだ。ショルダーバッグはユニセックスのデザインで、しっかりした布地であること、内側は布地が二重であること、貴重品の収納に便利なポケットが多いことから旅行のために気に入って選んだものだ。

旅行になると発動する私の悪い癖なのだが、なぜだか「あまりおしゃれでない」服装をいつもチョイスしてしまう。ただ女性の一人旅というだけで家族にも友人にも心配をかけるのだし、大きなリュックを背負って歩き回るとなると、必然的にファッション性が排除されたのだと胸を張りたい(ただ旅行が終わるといつも、「次はもっとおしゃれしよう」と胸に誓うのである)。

自分自身と荷物のチェックインを終えたら、昼食に空港内で寿司を食べ、シベリア鉄道に持ち込む食材を入れるのにちょうどよいエコバッグを見つけ、それでも時間が余ったので、ロビーのベンチでアイスクリームをなめなめしていたら、保安検査場に向かわなければならない時刻になった。

さよならと出発

もし旅の出発点を定めるならば、おそらくこの、成田空港で友人とさよならをした瞬間だろう。なんだか涙をこらえきれなくなって、泣きながら保安検査場への入り口をくぐった。周りから見ればちょっとおかしな様子に見えたかもしれない。

しばらくの間涙が止まらず、友人とさよならした寂しさの大波に飲み込まれていた。ぼろぼろ泣きながら、かばんをX線検査機に通し、金属探知機のゲートをくぐった。パスポートコントロールでもまだ泣いていた。

それでも私は前に進まざるを得なかった。ロシア旅行の手配をし、代金も支払った。自分のすぐ足元から、すでに大陸を横断するシベリア鉄道のレールが始まっていた。自らの手で敷いたものだ。

S7航空の搭乗ゲートは空港の中で、ずいぶんと奥まったところにあった。やがて搭乗ゲートへと至る無機質なグレーベージュの床の上をぐいぐい歩いていると、涙がゆるやかに引いていった。私は空港の中でひとりきりになっていった。もはや自分の身を守るのは自分だけだ。だんだんと歩調が速くなって、今まで暮らしてきた日常の風景、退職したばかりの会社の思い出、家族、友人からどんどん遠ざかっていった。

搭乗ゲートがようやく見えようかという頃、私はすでにウラジオストクでの今晩の夕食のことを考えていた。飛行機の着陸予定は十九時過ぎ、おそらく商店に寄る暇もなく夜になると思われたので、空港内のコンビニエンスストアでおにぎりを二個購入した。ビニール袋をぶらさげて辿り着いた出発口の待合エリアには、私と同じくロシアの大地に飛び立とうとする、名も知らぬ友人たちが明るい表情で私を待ち受けていた。

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