ニッカウヰスキーの昼下がり

イーラとアンドレイと、3人で始まったシベリア鉄道の旅。出発するなり次々と登場するアルコールに驚きつつも、出発を祝して、乾杯。

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シベリア鉄道のご挨拶

「お茶を飲む?」

イーラに尋ねた。アンドレイが列車に乗り込んでたきた時、ちょうど私は紅茶を淹れようと思っていた頃合いだった。早速列車のサモワールも使ってみたい。ところがイーラはちょっと驚き混じりの(モヤッ)とした表情をさっと浮かべ、「えーっと、いらない」と私の勧めを断った。心の中で何事か、別のことを考えているような様子だった。

車窓にはシベリアの美しい草原。薄い水色の澄みきった空。揺れる列車。お茶を飲むのに、こんなに素敵な午後が他にあろうか?

私はその時、彼女の表情の意味がわからなず、断られるとも思っていなかったので少しびっくりしたのだけれど、それでは、とあっさり引き下がって一人分のお湯を汲みに行った。

日本から持参した何てことのない紅茶をすすりながら、イーラとアンドレイのやりとりを眺めていた。アンドレイは大きな体を下段のベッドに押し込み、手元に小さな本を開いてくつろいでいるのだけれど、イーラはしきりにロシア語で彼に話しかけた。アンドレイは特に本に執着するでもなく、快く話している。イーラは話し相手ができてほっとした様子だ。彼女はおしゃべり好きな性格だった。

とうとうアンドレイはすっかり本を閉じてしまい、ベッドからのっそりと体を起こした。そして自分の黒い鞄から、何の前触れもなくゴトリと重厚な瓶を取り出すのを見て、私はぎょっとした。

いったい彼のボストンバッグの、何割をその瓶が占めていたのだろう?それはとても大きな瓶だった。1リットルはあるのじゃないだろうか。瓶いっぱいに詰まっているのは琥珀色に輝く液体。さらにラベルに日本語を読み取れたのでさらに驚いた。「ニッカウヰスキー」。なんと!こんなところで日本のウイスキーに出会うなんて。

瓶は新品だった。「友達がプレゼントしてくれたんだ。日本のウイスキーは有名だろ」彼は私に話しかけた。

そう、私はウイスキーには明るくないけれど、ジャパニーズ・ウイスキーは近年海外でとても人気だ。特に「余市」「山崎」は大変好評なんだとか。

それにしても、このタイミングでウイスキー? アンドレイが乗車してからものの数分しか経っていない。

巨大なウイスキーの瓶を驚いてじろじろ眺めていると、「ほら、陽子もコップをあけてきなさい」とイーラに急かされ、慌ててお手洗いに走った。彼女の(モヤッ)がようやく理解できた。ウラジオストクを出発した時、初対面の私にビールを勧めてくれて驚いたけれど、今度はアンドレイのウイスキーときた。どうやらシベリア鉄道では、同室の人々とお酒を酌み交わすことが当たり前のようである。まさにお酒が挨拶代わりというわけだ。

再び乾杯

ところで私も酒好きのはしくれではあるけれど、ウイスキーの度数の強さと独特の風味が長い間苦手で、そのおいしさがようやくわかり始めたという時期だった。お手洗いでお茶を流してしまうと、空のマグカップを片手にビクビクしながら部屋の扉を開けた。

イーラが意気揚々と、自分のキュウリやトマトをテーブルに並べて、食べやすいようにナイフでカットしている。肴にするつもりなのだろう。「これ、あんたの分よ」イーラはキュウリを私とアンドレイにそれぞれ手渡して、塩を振りかけさせた。

アンドレイはウイスキーを開封し、イーラのカップの半分ほどまでどぼどぼ注ぐ。そ、そんなにたくさん。さくらんぼ柄のキュートなカップに、ニッカウヰスキー。なかなか渋い組み合わせ。

私のカップに注いでもらう時、かろうじて通じ合えそうな言葉を頭の中から引っ張りだしてきて、「ミニ、ミニ(ちっちゃく、ちっちゃく)!」とへっぴり腰でお願いした。まるで呪文を唱えるみたい。

さて、いざ乾杯。私達は各々のカップをかかげた。

「ダバイ(飲もう)!」

この時、頭のどこかで、うっすらと悟っていたのだ。ああ、これは、ショットの雰囲気だ。ロシア人がウォッカでやるというあれだ、と…。一瞬、逡巡した。郷に入っては郷に従え、彼らの流儀に合わせるべきか。しかし(私には無理)と心の中で即座に諦めて、ひと口ウイスキーを飲んだ。

そして案の定、2人の飲み方には内心でギョッとしたものだ。彼らはカップを一気に傾けると、なみなみと注がれたストレートのウイスキーを勢いよく飲み干した。飲むというより、「体の中に流し込む」といった具合。

強烈なアルコールが喉から腹に転がり落ちていく間、ほんの数秒、彼らは苦しそうな表情を浮かべてぎゅっと目をつぶり、やり過ごす。次にカッと目を見開き、鬼気迫る表情でフーッと深く息を吐く。そしてキュウリにむしゃぶりついた。野菜の水分と塩気を口に含みながら、さらに息を吐く。

ヒィィ。これがロシア流か。なんと恐ろしい土地に迷い込んでしまったのだろう。私はというと、よいしょ、よいしょとなんとかふた口で飲み干した。これでも無茶にならない範囲でがんばったほうだ。ウイスキーを飲むのに、今までこんなにひと口が大きかったことはない。

それにしても、ウイスキーをおいしく飲めるようになっていてよかった。でなければ、こうして旅先で出会った人達と楽しみを共有できなかったかもしれない。

さて酒宴が始まった。シベリアの草原では少しずつ日が傾いて、夕方の気配が濃くなっていく。私はすでに、少なからず驚いていた。想像していたよりも、シベリア鉄道が遥かににぎやかな場所であるということに。

しみじみと列車の音を聞きながら、時折周りと言葉を交わして、静かに時間が流れていく、そんなシベリア鉄道。しかしそれは幻想に過ぎないということにようやく気付いた。おしゃべりとお酒が大好きなロシアの人達と一緒になって、会話が通じたり、通じなかったりしながら、乾杯をする。「ダバイ!」私は忙しくって、景色の写真を撮る暇もなかった。

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