「島」という異界―屋久島の時間と海

こんにちは、Yokaです。

どこかの島に行きたいなあ、と考えているうちに夏が終わりを迎えつつあります。以前、初めて日本の離島を訪れた時のことを書きました。屋久島で、縄文杉を目指し半日かけて山を登り、森の雨に打たれた時のこと。

あの快感も忘れ難いのですが、「島」という空間には独特の魅力があります。

ここでいう「島」とは、いわゆる離島と呼ばれる類の陸地です。本州や九州だって島じゃないのかといわれると確かに島ですが、そうではなく、日本の主要4島(北海道~九州)以外の小さな島々。

私自身は生まれも育ちも本州育ち、コテコテの関西弁を聴きながら育った人間です。あくまで本州人の目線で見た「島」、という前提で書かせていただきます。

「島」、それはまるで「異界」のようだと感じます。

異界というとおどろおどろしい響きになりかねませんが、決してそんな物騒な、そして差別的な意味ではございません。

日常からかけ離れた場所。島の輪郭によって外界と隔てられた、限定的な空間。外界とは空間的に隔てられているので、島内では時間の流れも外界とは少し違っている。それは本土の人間にとっては「特殊な時間の流れ」でもあります。

時間の流れが異なるということが「島」という空間に特殊性を与え、「異界」たらしめる要因の最たるものかもしれません。「島」を訪れると必然的にその時間の流れの中に放り込まれ、無意識下で体と頭のリズムが調整されていく。きっと「島」を訪れる快感は、そこにあるのでしょう。自分のリズムをいったんリセットされる感じ。時計の時刻を合わせるのに、長針と短針を一度静止させる感じ。時計の針が再び動き始める時、自分の一部は「島」にすでに溶け込みつつあるということです。

屋久島でもうひとつ心を打たれたのは、海洋性気候の変わりやすい空模様です。屋久島の天気はとっても変わりやすい。一日に何度も雨が降っては上がる、その繰り返しです。でもじめじめした雨ではありません。シャワーのように地面をさーっと洗い流すような雨が多い。時には強かに、短いスコールのように降ることもあります。

島とはいえ、本土に比べればちっぽけな陸地面積です。だから海洋性気候の雨に降られる時、自分が「海の一部」に取り込まれたような気持ちになる。島の上空を通り過ぎていく「海洋という空間の一部」が、雨とともに足元まで降りてくる。雨雲が接近しては通過していく、そのたびに「島」は「海の一部」になる。

特殊な時間の流れる「島」は常に「海の一部」になり得るため、その輪郭は常にあやふや。外界の人間が訪れると、体内のリズム、それから自分の輪郭すら、「島」と「海」の中に怪しげに溶けだしていく。心まで「島」に取り込まれたら、外界に戻ることができるかどうか、それはその人次第というわけです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする