ウラジオストク空港と最初の出会い

初めて極東ロシアの地へ。成田空港からS7航空に登場し、ウラジオストク空港へと降り立った。ウラジオストクの市街までの道のり、そして旅行で最初に出会った人との交流について記録します。

スポンサーリンク

ウラジオストク空港へ

ウラジオストクの現地時刻で19時頃。定刻どおりに飛行機はウラジオストク空港に向けて降下を始めた。空はまだ明るい。日本よりもウラジオストクのほうが1時間進んでいるから、日本でいえば18時頃の空の色に近いのかもしれない。間もなく機体は極東ロシアの大地に滑り込んでいった。

機体からわらわらと吐き出される乗客に混じり、私も意気揚々と空港の建物内へ踏み出した。

ロシアの空港では、サンクトペテルブルクのプルコヴォ空港のみ2012年に利用したことがある。プルコヴォの建物は当時結構古びていた印象があったのだが、ウラジオストク空港の内装は案外都会的な内装をしている。特に目立った装飾はないけれど、床も壁もこざっぱりと清潔で、新しい建物に見えた。

早速パスポートコントロールに差し掛かった。我先にと先を急ぐ乗客達があっという間に通関の列を作った。成田空港で見かけたよりも、東南アジア系の顔ぶれが多いように思えた。中国人も多い。日本人はやはりあまり乗っていなかったようだ。

列に並んでからずいぶん経った後、私の番がまわってきた。パスポートを検分されている間、何もやましいことはないのにぴりりと緊張していたのは、窓口の係員の顔に一切表情というものがなかったからだ。まるでお面をかぶっているみたい、と文句を言いたくもなる。

それにビザのことで何か手違いがあったらどうしよう。そんな悪い想像をしながらじりじりと事務手続きが終わるのを待っていると、唐突にパスポートが目の前に舞い戻って来た。晴れて、2度目のロシア入国である。やった!内心で少し浮かれる。

バゲージクレームでターンテーブルから、カマキリ色のバックパックがぐるぐると流れてきた。リュックも私と一緒に無事に空の旅を終えたらしい。よいこらせと背負って、気合いを入れて出口に向かった。

旅行で最初に出会った人

到着ゲートをくぐった途端に、たくさんの人の姿が視界に飛び込んできた。自動ドアの前で送迎ドライバーが集合写真の撮影時みたいに横並びになって、人の名前を書いたプレートを胸の前に掲げている。私も空港から街のホテルまでの送迎を手配してもらっていた。というのは飛行機の到着が空港と街を結ぶ列車の最終便に間に合わなかったからだ。

名札を順繰りに眺めていると、私の名前にすぐ目が留まった。ロシア人らしい背の高い40歳くらいの男の人がジャンバーを羽織った姿で、不愛想な顔をして私を待ち受けていた。

私は異国の地で頼る人を見つけ、ほっとして駆け寄り、ロシア語で名前を告げた。すると彼は、口元だけ一度にこりとして、何ごとかをロシア語で話しかけてきた。

「私、ロシア語がわからなくて……(ヤー ニェ ガバリーユ パ ルースキー)」と言い淀むと、彼はちょっと予想外の方向から飛んできたジャブをかわしたような表情をして、こっち、と空港の外へ私を案内する。

旅行直前に焦ってロシア語を勉強したけれど、にわか仕込みのボキャブラリーの中でもきちんと覚えたのが「私ロシア語ワカリマセン」だというから、情けない話である。学部時代にロシア語の授業をとっていたから今でもキリル文字は読めるけれど、あらゆる文法の知識やボキャブラリーは、悲しいかな、すでに遥か彼方である。

外に出てみると建物の正面はガラス張りになっていて、空の色をきれいに反射していた。後で調べてみるとウラジオストク空港が建設されたのは1931年だけれども、2012年にウラジオストクで開かれたAPEC首脳会議に先駆けて、2005年から2006年にかけてターミナルの改装が行われたらしい。

初めて見るウラジオストクの空の色は、ようやく夕焼けの気配が近づいてきたという印象。空全体に薄い雲が広がっている。極東ロシアの空気は心持ちすがすがしく感じられた。車に乗り込むとドライバーのおじさんは街へと続くらしい大きな道路に出た。

ウラジオストクの街を望む高台へ

なんとなくドライバーさんは機嫌が悪そうだ。日曜の夕方に仕事を入れられて、おまけにお客はロシア語ができないときたものだから、不愛想なのかしら…などと勝手に想像を膨らませながら車窓の外を眺めていた。道路には何本も車線が走っていて、結構交通量も多い。ウラジオストクの街まではあまり建物のない郊外をひた走った。

普通乗用車の中に大型トラックの姿がたくさん目についた。どの車体も年季が入っていて使い込んだ印象に見える。そして日本の自動車メーカーの名前をたくさん見つけた。トヨタ。マツダ。ニッサン。でも韓国のヒュンダイも多い。

極東では日本の中古車がさかんに輸入されているらしい。事前にそのことを本で読んで知っていたので、こういうことかとひとりで納得する。そんな時だった。ドライバーのおじさんが突然肩越しに話しかけてきた。

「ロシアは初めて?」

ちょっとびっくりしたのは、それが英語だったからだ。ロシアでは英語は通じないことが多い。ロシア語ができなければ言語面での苦労がどうしてもつきまとう。だからたどたどしいながらも英語で話しかけれて、少々びっくりした。しかも空港とは打って変わって、いつの間にかなんだか気さくな雰囲気だ。ちょっと嬉しい驚きだった。

「いいえ、今回は二回目。サンクトペテルブルクに友達がいて、会いに行ったことがあるの」

彼は運転しながら、自分も時々海外旅行に出かけること、中でもタイが面白かったこと等を話してくれた。私はなるべく平易な単語や文法で話したつもりだったけれど、どうだったろう。最低限、お互いの言いたいことは伝わっていたと思う。

「こっちは日本製の車が多いのね」

「そう。こっちではみんな日本製に乗ってるよ。この車はトヨタだ」

車はやがてウラジオストクの市街へと入っていった。団地のような集合住宅や、大小の商店が景色を占めるようになった。時々目に入ったキリル文字を目で追う。なんでか薬局(アプチェーカ)が多いような気がした。

私はウラジオストクでおすすめの観光地があるかどうか尋ねてみた。

「有名な展望台には行こうと思っているの。ホテルからかなり遠い?」

「その展望台に上がるにはリフトに乗らなきゃならないよ」

「リフト乗り場って遠いのかしら。ホテルから歩いて行ける?」

すると彼は何事かを私に提案し始めた。「……~するかい?」

肝心なところで彼の英語は聞き取れなくなる。何度か聞き返すのだけれど、そのたび彼も言い直して、言葉を替えながら、私にしきりに何かを勧めた。どうやら、これから行く? と言っているようだ。ホテルまで送るついでに、今行っちゃえば? というわけだ。

予定外の提案に、私の警戒心が急ににゅっと首をもたげた。今日はもう遅いから、と断るのだけれど、それが通じたのか通じていないのか、彼はなおも食い下がる。私はえー、とか、いやー、とか言いながら遠慮するのだけれど、彼はそのたびに自分の英語が伝わっていないと思っているように見えた。

私はだんだんと断るのが面倒になり、しまいには「イエス」と告げていた。

ドライバーは、よっしゃ! と言わんばかりに、ある地点でギュギュンとハンドルを切り、カーブの続く坂道を登り始めた。土地勘のない私は、車が今街のどの辺りにいるのかまったく想像もつかない。

坂を登りきると、数台の車が駐車してある開けた高台で車が停まった。促されて車外に出てみると、これぞウラジオストク!という景色が広がっていた。夕方の空は雲がちで灰色をしている。その下で、対岸のルースキー島とウラジオストクを結ぶV字型の黄金橋が渡されていた。

振り向くと、ドライバーは後ろで煙草に火をつけている。おそらくそこは、ガイドブックにある有名な鷲の巣展望台ではなかったと思う。けれどその景色はまさに翌日展望台で見たかったものだった。私はホテルから離れた展望台をわざわざ訪れる手間が省けたことを悟った。

高台を降りた車は繁華街とおぼしき街並みを走り抜けると、再び坂道を登り始めた。ウラジオストクは坂の街だ。

私が2泊を過ごす予定のホテル《アムールスキーザリフ》は街の西側、フョードロフ入り江に面した一角にあった。高台を登りきったところに駐車場があり、車を降りると、地面から突き出るようにして両開きの扉のあるごく小さな建物があった。

それがホテルの入り口なのだった。高台の反対側が崖になっていて、ホテルは崖に張り付くように建てられている。高台に突き出たホテルのてっぺん部分が、駐車場からの玄関になっているというわけだ。ドライバーも一緒に車を降りて、私達は扉をくぐった。

中に入ると階段がぐるぐると下方に伸びている。降りきったところがフロントだった。駐車場にいた時から、中国人の宿泊客の姿が目立った。なぜだか中国のマダム達は皆、極彩色のピンクやオレンジの服を着ていることが多い。

フロントに辿り着くと、ドライバーのおじさんとさよならをする頃合いになったことを知った。そこで私は、先ほど高台に連れていってくれたのは追加料金が発生するのかどうか、切り出してみた。ロシアには元々チップの文化はない。ただし西のほうではヨーロッパの影響でチップを渡すこともあるらしい。この時私は、彼にチップを払ってもよいという気になっていた。

彼は2秒ほど、ちょっと驚いたような顔をした。そんなつもりで連れて行ってくれたのではなかったのだろう。一瞬違う方向を見て何かを考えるようで、彼は「あ~、イエス」といった。確かこの時渡した金額は私の言い値というか、適当に財布から小さな額のお札を選んだ。

すると彼は「ウラジオストクの観光スポットを教えてあげよう!」とにっこりしてくれた。意気揚々と私たちはフロント前のソファーに座り、『歩き方』の折り込み地図を広げた。彼は私のペンを握りしめて次々とおすすめのポイントに印をつけてくれた。街の中心にあるセントラルスクエア。街のメインストリートである、スヴェトランスカヤ通り。それに平行して海岸を走るカラベーリナヤ海岸通り。街の西側のナーベレジナヤ通り。そして私が必ず目指すことになるウラジオストク鉄道駅。

彼は一通り説明した後、「安全で、幸運な旅を!」と笑顔で言葉をかけてくれた。さよならを告げてから、彼がこの旅行で最初に出会った人間になったことを知った。私にとってはとても幸先のいい、一人旅の始まりだった。

私は再び一人きりになった。フロントでチェックインを済ませる。カウンターのお姉さんは大変美しい英語を操る人だった。そして部屋に辿り着いた時、成田空港からずいぶん長い旅を終えてきたような錯覚を覚えて、どっと緊張が解けたようだった。

部屋は薄暗くて、ちょっと古めかしく、備え付けのスリッパが見当たらなかった(意外にも、この後に訪れるいくつかのホテルでもスリッパを見かけることはなかった。日本独自の文化なのか、それともホテルのランクの問題なのか)。その部屋は言ってみれば、ちょっとおばけの出そうな雰囲気だ。けれども清潔であることには間違いなかった。Wi-Fiの電波を拾って、日本の友人と家族に無事に到着した旨を連絡した。

旅の初日は、とても長い一日になった。その晩は成田空港で買っておいたおにぎりをもぐもぐと食べて、遅くならないうちに就寝した。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする